年またぎに間に合った。 [オッサンの一言]
SeeSaaへのチマチマ移動作業。
何とか年内に今年の11月末まで移動が終わった。
この記事も今年最後なので今日が過ぎたら(元旦早々に)SeeSaaに移動します。
移動ツールはまた違った形で使う事にします。
どれを本流とするかは…どうしましょうね?
まだ考える時間はありますから皆さんの動向を見ながら判断しますかね。
で、日が変わるだけの年またぎ。
皆さんには幸あれとは思う事はあっても、自分個人としては何の変化も無く日が変わっただけの年またぎ。
何もかも元旦仕様になって、普段と同じ様に動けない不自由な期間でしかない。
ガキの頃から正月とは年初めから青筋たててキレて暴れてた事しか覚えて無くて、炬燵に入っておせちを食べるとか笑顔で会話するとか夢のまた夢みたいな幼少時代だったので。(14歳で家を出ているので)
そんじゃ、14で家を出た後は?と言うと働いていたか塀の中にいたか。(19歳まで)
バブル時は億単位で持っていたのではじけるまで道楽で店を出したり毎日店を任せて遊んでたり。
はじけてからは少しはまじめ(っぽく)働いてましたよ。
どちらかと言うと『息』のかかった感じのところが多かったですけどね。
ストリップのロック座で卒業しましたけどね。
その間の元旦は酒を飲んでおしまいなケースばかりでしたね。
矢張り『良いお年を』も『明けまして…』も無かったなぁ。
もうその頃には口にする事すら嫌悪感を感じるくらいでしたね。
『その一言を言いまくって良い年になるんなら苦労しないわ』と毒を吐いていた年もありました。
まぁこの年齢になって、流石にそこまでなくても出来るなら自分には遠慮して貰いたいし言いたくもない。
景気が良くなるわけでもないし物価が安くなる訳でもない。
矢張り自分にとって年またぎはフラストレーションの元にしかならないらしい。(笑)
本当なら新しいカメラでも買ってワクワクした感じで終わりたかったけど、条件反射みたいな感じでイライラしちゃうんですよね。
上辺だけのコピペの年末年始の挨拶とか。
活字だけだと気持ちがどれほど込められているかが見えないじゃないですか。
ご挨拶を頂くなら自分はリアルで目の前でがイイな。
それが出来ないなら全て遠慮の形で。
自分は一切の信心をしていないので(無信心)、Happy New Year!とかでも拒否反応が出ます。
何が”Happy”なんじゃ!ってね。(笑)
親が『お前は頑固過ぎる』と言われる理由が分かってきた気がする。(爆